黒河貴矢と南大門仁王像15

市立船橋高校時代は高校総体や選手権で優勝するなどの実績を残し、清水エスパルスに入団。
2004年、アテネオリンピックサッカー日本代表に選ばれたが、GKのポジションに曽ヶ端準オーバーエイジ枠で参加したこともあり、出場機会は無かった。
さらにクラブでも浦和レッズから移籍してきた西部洋平にレギュラーを奪われ、2006年に東京ヴェルディに移籍したが、シーズン途中でジェフ千葉に移籍するも目立った活躍はできず解雇される。その後、アルビレックス新潟に加入と同時にJAPANサッカーカレッジに移籍したものの一年で新潟に復帰した。
2010年からは、大宮アルディージャ北野貴之が移籍したことにより、背番号が22から1に変更された。開幕スタメンを勝ち取ったものの、第2節のジュビロ磐田戦で左眼窩壁骨折の重傷を負った。その後はこの試合で途中出場した東口順昭にレギュラーを奪われていた。第14節のベガルタ仙台戦で東口も左眼窩壁骨折および鼻骨骨折の重傷を負ったため一時はGKレギュラーに戻ったものの、東口がケガから復帰してからは再度レギュラーを奪われる格好となっている。